旧国道1号線をひと筋入った(松原公民館敷地内)に建てられている石碑です。
東海道が制定された1601年(慶長6年)江戸幕府は、馬入村より平塚新宿間の約240間(430m)に松の木を植え中原御林16ヶ所の一つでもあったことで、旅人はこの地を松原と称していました。
現在、地図上で「松原」という町名はありませんが、昭和20年(1945年)7月の空襲の後に再建された小学校は「松原小学校」と銘々しています。現在、この石碑が建てられている公民館は「松原公民館」です。
地区名として「松原地区」で名前が残っています。

明和元年(1764年)に作成された「相州大住郡中原御林絵図」には、江戸幕府の直轄林の名称と区域が示されています。
【東海道馬入松原跡碑】平塚市八千代町2-23 (松原公民館の敷地内にあり)